最近は
関口久雄「インターフェイス-コンピュータと対峙する時-」(ひつじ書房)
という本を主に読んでいて
コンピュータで音に関わっていながら
コンピュータ音楽については考えてきたが
コンピュータそのものにについては
あまり考えてこなかったことにやっと気が付いた。
コンピュータの可能性は「コンピュータのインターフェイス」という
言葉でまず思い浮かぶような「コンピュータと人間の物理的な繋がり」の
部分にはそもそもあまりないのではないか、
「コンピュータのインターフェイス」をもっと広い範囲で
考えた方がいいのではないか、というような
そういう考えを持ちながら、フロアが増えてさらに本の量が増えた
ジュンク堂三宮店を放浪していたら、たまたま出会ったのが
インターフェイス-コンピュータと対峙する時-」であった。
コンピュータに起源を持たない「昔のしきたり」に
無理矢理コンピュータを従わせる事に可能性はあるのだろうか。
コンピュータにおいては「演奏」「身体性」の意味も変わるのではないか。
コンピュータで「まるごと放り込まれている」という意味での
「自然」を作り出す(再現ではなく)ことは可能であるか。