ここに関する事で、最近変えたことに
一人称と書くプロセスというか書き方があって、
一人称は「僕」から「わたし」になっているが
いま確認の為に見てみたら「わたし」ではなく「私」で
これはただ単に、年齢と性別が曖昧になって
少しは自分と書かれた言葉との距離が離れれば、
というのはいま考えたことで、最初に思った事は
この年齢になって「僕」はないだろうと思っただけで
この年齢がどの年齢かはいちいち書かないが、
次に書き方に関しては、以前からのクセである
意味と見た目で改行するという事や
最近気に入っている「、」と「改行」で意味を区切り
「。」を使わない事は継続しつつ、
これのいいところは「。」で強く区切れないから
それぞれの文とそれらの文が構成する意味のユニットで
文章全体の構成をするという思考のかたちにならなくて済むということで
私はなんにしろ構成するということが苦手で
それよりも連想で連なっていく方が楽なのだが、
変えたのはそういうことではなくて
こことの関わり合いということなのだが、
以前は文章を何日かかけてまとめた上で
はてなダイアリーにアップするというかたちをとっていて
いまはそういうやり方ではなく
何かを思いついた時にその何かを
できるだけその時思いつく材料だけで書く
ということで、こうすることで
思考の流れを比較的、といっても
何と比較しているのかは分からないが
流動的にかつ複数のベクトルを含むものに
することができるような気がしていて
それと同時に、最近保坂和志ばかりだが
保坂和志も言うように
やはり書くことで思考が進むというのがあって
それも手書きとワープロは違うというのは
手書きではない私でもその違いは想像できるが
それよりも連なり、流れとしての思考を
言葉として脳に一時的にためておくのではなく
文字としてディスプレイに一時的にためておくことで
脳の負担が減る、というのは本当に実感として感じることで
たぶんこれは脳の中にある時と文字になった時の違いで
大雑把に言うと同じ意味の言葉であっても
動と静であるように思えたのだが、
多分そんなに違わないし違いはあまり問題ではないのかもしれない
と思ったいまのこのへんでぼちぼち切り上げようと思う。