最近は専ら
保坂和志「小説の誕生」
(いままで保坂和志のエッセイやその類いの文章は
敬遠していたのだが、これの前編「小説の自由」を読んだら
結構面白かった)
小島信夫「うるわしき日々」のふたつを
7:3の割合で平行して読んでいて、
その間にきまぐれに
ロラン バルト「明るい部屋」とカフカ「城」が
はさまる感じで読書は続いていて
カフカはまだその文体というか思考にあまり馴れていないから
だいぶ前から読み始めたにもかかわらず
途切れがちでそれでも完全に途切れる事はなくて、
いまの時点で完全に途切れてしまったのは
野矢秀樹「ウィトゲンシュタイン論理哲学論考を読む」と
同じく野矢秀樹「論理トレーニング101題」、
檜垣立哉ドゥルーズ-解けない問いを生きる」で
論理哲学論考を読む」は中盤までは面白かったので
また読むことがあると思うが
ドゥルーズ-解けない問いを生きる」はあと少しで
読み終わりそうなのに飽きてしまった、というか
そもそも最初からあまり書かれていることが
定着してこなかったのでしょうがないとしか思えなくて
あと、途切れてしまったことすら忘れていたのに
オクタビオ パスの「マルセルデュシャン論」があって
レディメイドに関する部分は面白かったが
全体的に抽象的過ぎてよく分からない、というのが印象に残っていて、
そういえば、まだページを開いてもいないもの、例えば
瀧口修造に関する本や多和田葉子の「ゴットハルト鉄道」、
バルト「象徴の帝国」などがある、
というのがごく最近の読書に関する事柄で
音楽はというと、中学(か高校だったか)の頃から使っている
CDコンポ(という呼び名はまだ生きているのだろうか)が
壊れてしまいCDの音飛びが激しくて
これを機に音楽を聴かなくなるのも
なかなか趣があるというかその受動的な感じがいいかもしれない
と思いつつもコンポにCDウォークマンを接続して外部入力として
スピーカーから出力するというややこしいことをやっているのだが
結局はおおはた雄一クラムボンキリンジくらいしか聴いてなくて
たまにueno「ハスノス」とかバシンスキー「variations for piano & tapes」が
あいだにはさまるくらいでうたのないものはほとんど聴いていないし
あまり音楽について考えてもいないと自分では思っていたが
その間にも自分が何故音楽を捨てようとしているのか、
ということの輪郭が掴めてきたり、
音楽でできることの中で音楽をするのは向いていない、とか考えたり
少しずつ進んでいるような気もしないでもない。