晴れてmixiを卒業できた記念に
そのもろもろについて少し。


ログインしてまず足跡のページを見て
今日は誰が自分のページを見たのかを
確認するという作業がどうにも
からしくなったのと、
何かを望んで入ったわけではないので
当たり前のことだが、mixi自体に
特に何も見出せなかったのが
主な理由だと思うのだけれど、
多分それは普段の生活における
自分の傾向みたいなものと、
インターネット上で、書き物をしたり
誰かとコミュニケーションしたり
何らかのアクションを起こすことそのものに
どうしても拭えない胡散臭さを感じてしまうことが
深く関わっているようにも思えてくるのだが、
それがどういうことなのかというと
インターネットの世界は現実の世界よりも強く
文字通り「他者との繋がり」を軸に成り立っていて、
軸というよりもそれしかないくらいで
その極端さゆえなのかどうもそこかしこに
押し付けがましさと綺麗事を感じてしまって、
そうかというと自分もそうなってしまっているのが
居心地が悪いというか、
「意味が無い」という意味以外の
意味の無い事ができないというか、
インターネット上で存在するためには
「かたち」としての何かが必ず必要で
それが無いということは存在しないということで
ただ黙って居るということができなくて
無理やりにでも口を開かなければならないし
口を開けば開いたで他者を意識するあまり
都合のいいことばかりになってしまうもので
なんかそういう「弱さ」みたいなもので
インターネットが成り立っているような気もしてくるが
気になるのはそれだけではなくて、
現実の世界でもそうなのだが
ひとりでいるのが苦手だ、とか
人と人の繋がりが全てだ、という人がたまにいて
確かに人間だけで世界を考えたらそうなるんだろうし
気持ちも分かるんだけど、100%同意はできなくて
なんといったらいいか、それはそれでひどく狭い世界だと思うし
とはいっても、あらかじめプログラムされているとしか思えない
人間の本性のその「あらかじめ組み込まれている」ということ自体が
どうにも気に入らなくて、それに抗いたいという気持ちが大きいから
そういう考え方をするのかもしれないし、
ただ単に面倒臭がりだからかもしれなくて
新たな物事を始める事が嫌で、というか
利害の水位差で発生する熱量だけで動く物事に関わるのが
からしいというか、そういうものからはできるだけ離れていたいのだが
いつもいろんな物事が攻めてくるのでなかなかそうはいかなくて、
というようなことをだらだらと書いていても
インターネット上ではどうやっても
ひとりの人間のひとつの「表現」であることになってしまうし、
この文章も自分の思考もそのルールに縛られていて
限定された思考の生み出す限定された文章がさらに
思考を限定していって、というような
先細りの循環の中にいるような気がしてくるが
こういう気分は人が言うほど悪くはなくて、
むしろなにかしらの可能性を感じて
かえって楽しい気分にすらなるのだけれど
一番大切なのはそこに踏ん張り続けることだと思うし
無理にでも答えを出して次に進むより
(それは本当に進んでいると言えるのだろうか)、
解けない問いを考え続ける方が楽しいと思っていて
いまのところそういうことが苦痛だとは感じていないので
このまま留まり続けようと思う。