2021年3月30日現在の蔵書が1935冊あり、この中で読んだものが673冊あり、ということは、まだ読んでいないものが1262冊ある。今の自分の状況での読むペースは月に1〜2冊なので、仮にこのペースがそのまま続くとして(何年先かは分からないけど時間ができたら増えるとは思う)、80歳までに960冊読める計算になる。ということは、いまの時点で302冊が読まずに終わる可能性が高い上に、今の関心に応じて購入するので、日々、本は増え続けている。なので、たくさんある「買ったけど読みそびれて、たぶん今後も読まない本」を、いまその本に関心がある人へ渡せたら良さそう。

長谷川昭雄さんというスタイリストがHOUYHNHNMというサイトでやっている連載のようなものがあり、好きで時々見ているのだが、最新のページにヘナについての話があり、デトックスとか好転反応とかの言葉を発見。なんというか、「デトックス

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や「好転反応」(ホメオパシーで良く出てくる。)

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は典型的な疑似科学用語だと言って差し支えないと思うのだが、疑似科学と科学の違いとか、科学的な考え方って何かとか(例えば「実験で確かめることができるかどうか」とか)、確かに曖昧なところもあるだろうけれど、基本的な考え方の土台としてみんなに共有されたら良いのになと、いつも思う。

 

あと前にも書いたことだが、「デトックス」とか「好転反応」とか「水の伝言」とか「良い波動」とか「引き寄せの法則」とかを、"信じる"ことに価値を感じる人には、科学的であるかどうかを説いても、残念ながら意味がない。そもそも科学的であることに価値や意味を感じていないから。しかし、自分の信じることを科学的に説明できない引け目はあるのか、科学にも限界があるとか、そういうことを言われた経験があるが、科学には限界がありますが、そもそも科学的に説明のつかないことを信じていても別におかしくないんですよ、私は信じませんが、と言ってあげれば、それはそれで丸く収まったのかもしれない。

 

乱暴な物言いではあるが、つまるところ、疑似科学やスピリチュアル、健康マニアといったようなものは、多数が信じているわけではないマイナーななにかを信じて、同好の士とコミュニケーションしたい、という、ささやかな楽しみなのかもしれない。

 

とはいえ、健康マニアに関しては、誰かの不調を聞きつけたら自分の信じる説やアイテムを紹介してきて、感謝されようとしたり、仲間にしようとしたり、してくるので、多少やっかいではある。



 

はてなダイアリーを読み返してみると、10年前の今頃、私は「当事者ではないことへの引け目」について考えていたようだ。

 

今のコロナは全ての人が当事者になっているが、当事者性の強さのグラデーションはある。コロナに限らず、当事者性のグラデーションは何にでもあるが。

どこかで誰かが言っているとも思うが、ソーシャルネットワーキングサービス、とりわけ画像(視覚)を使うもの、今ならインスタグラムやティックトックによって、いろんな物事が「ファッション」になっていく。文字通り、着ることの他、食べること、住むこと、働くこと、暮らすこと全般。ファッションになっていく、というのは比喩なので、言い換えると、「人に見られることが前提」ということか。なら、そう言った方が良いような気もするが、「人に見られることが前提」ということによって、何が起きるかというところで、ファッションと言った方が分かりやすいような気もする。トレンドとか、人からどう見えるかが「基準」になりやすいという意味で。

 

人からどう見えるかで、自分のことを決めるのもなあ、と思っていたが、よく考えると、自分がどうしたいかなど誰も自分では決められないんではないか、見られることが動機付けになり、なりたい(と思っている)自分になれるのであれば、「形」だけだとしても、それはそれで幸福な気がする。

 

新聞の広告に片付けについての本が載っていて、紹介されていた本の内容に、部屋を片付けたければ友達を呼びなさい、とあり、友達から素敵な部屋だねと言ってもらうと嬉しい、だから片付けよう、綺麗にしよう、ということで、まさしく「見られることが動機付け」の一例で、それはそうだと思う反面、「人に見られる」ことに無頓着な人には一切効果がないし、人から承認されることへの欲求が薄い人にも、この片付けアドバイスは無意味だろう。

 

SNSを通じて、承認(「いいね!」)が貨幣として流通している、みたいなことも誰か言っていたが、「インスタ映え=これを買ってインスタに載せると「いいね!」もらえますよ」「これを持っているとみんなに素敵だと思ってもらえますよ」という形で、いろんな商売が回っていて、衣食住が足りた人たちの購買意欲を刺激するためには、「他人から承認されること」が必要で、そのやり方もいろいろあるんだろう。マズローの欲求五段階説を思い出すけど、そもそもこの説ってどのくらい妥当なんだろうか。