木曜くらいから風邪っぽく、治ったような日もあれば治ってないような日もあり、今日は治ってないような日であるので、二週間前に借りてまだ見てないDVDを見たりする日にしようと思う。「笑福亭鶴瓶が生まれた理由 ”もうひとつのディアドクター”」とビクトル・エリセ「エル・スール」はもう見たので、今日はヴェンダースの「リスボン物語」を見て、返しに行く。「笑福亭鶴瓶が生まれた理由 ”もうひとつのディア・ドクター”」は前に一度借りて返却日前日に見ようと思ったら、ケースのロックを外し忘れていて(武雄市図書館のツタヤはなにもかもセルフなのでこういうの忘れやすい。あと、だいたいロックついてないけど稀についてるのがあるから忘れる)、見ないで返したのだが、再度借りる時には、スタッフが棚に戻す時に気付いたのだろうけど、ロックが外されていた。「笑福亭鶴瓶が生まれた理由 ”もうひとつのディア・ドクター”」は、「ディア・ドクター」の撮影の裏側と、鶴瓶さんの落語公演「鶴瓶のらくだ」(「らくだ」は落語の演目。鶴瓶の師匠、六代目笑福亭松鶴の一八番)の裏側を行き来しながら進む。中盤あたり、西川美和監督が、ディアドクターの主人公「伊野治」という人物を描こうと思った動機について、「今までの自分の、出たとこ勝負でやってきた映画の仕事のなかで、私のような偽物が映画を1・2本撮って、たまたまそのモチーフが世間に受けたからといって、本格派とか本物と褒められるが、それは絶対世間が騙されているし、いつかこけたら手の平返しになるという恐怖感や不安がある。でも、もしかしたら多くのひとがその人なりの立場や役回りをなんとか担いながら、そういう偽物感、不安感を持ちながら過ごしているのではないか。偽物だけれど何者かを演じざるを得ず周りから本物を期待され、本物にはなれないかもしれないけれども本物として(フリをして)生きていく人を描こうと思った」というようなコメントが非常に興味深い。「なにかをつくる」分野での偽物感はよく分かるし(そもそも「本物」ってなんだという)、あと、「立場や役回りをなんとか担い、演じながら、その[演じている]ことに違和感や罪悪感を感じる」ことについてもよく考えるので、非常に興味深い(「名刺」が嫌だ、というのは、これに関係がある)。エリセの「エル・スール」は、南に行く前に終わるのがよかったのと、エンドロールで音楽が流れず無音なのが非常によかった。