「あなたの作品の良き理解者となり、作品発表を通じた他者からの承認・自己肯定感の醸成・モチベーションの維持をサポートいたします」というサービスがあれば(いわゆる「コーチング」なんだろうけど、、)まあまあ需要があったりするのではないか。。皮肉でなく、どうしてもそういう面があるよねという。


なんか作って発表して、というのを気楽に楽しめるひと、あるいはそういう環境では、このサービスは必要ないけど、過度に真面目なひとや過度に真面目になってしまう環境では必要になったりするようなしないような。


作品と人と、どちらを重視するかで、たぶん意見が分かれる。作品を重視するなら、第三者からの様々な価値判断が重要だし、人(作者)の気持ちとか楽しくやることを重視するなら、みんなで承認しあって生きていくのも良いことだ。


このふたつの間に優劣とかはないように思うので、自分が何を欲しているかを考えて各自勝手に好きにすればいい。


なんか作っているなら発表して第三者からの審判を受けねばならない、という思い込みがどうしてもある。別にそんなことなくて、作品と、(自分以外の)第三者や歴史との関わりを重視する人はそうすればいいよ、というだけで。


あと、「つくる」と「みせる」はまったく別のものだと考える方がいいように思う。それぞれ起こることも、それで生まれるものも違うし。


こういうの、なんか前にも書いた気がする・・。「つくる」と「みせる」を分けつつも、「つくる」にはそもそも「(自分で)みる」が含まれている。「(自分で)みる」と「(他人に)みせる」にどのような違いがあって、自分はどちらをどのくらいどのように必要とするか考えるとおもしろい。