http://d.hatena.ne.jp/k11/20051126
の文章について自分で書いておきながら、なんか違うな
と思っていて、こういうことは文章だとよく起きる事で
堀江敏幸の河岸忘日抄を読んでいたら
似たようなことが書いてあって少しクリアになった。


「個性」というものを否定したいわけではなくて
似た人はいても全く同じ人がいないように
人にはそれぞれに違うところがあるのは
日々、常に感じている。


でも、その違うところに対する意識や
扱い方の違いがとても気になる。


自意識(今まで得た知識や自分の好みなども含む)からくる
ある流れを別の方向に向かわせるような力を
ひとつひとつ無くしていって、そのあとに残るぼんやりとした「何か」を
ぼんやりとしたまま、そのまま眺める事で十分なのではないかと思う。
もしそういうぼんやりとした「何か」すら無いのだとしても
そういうものだった、というだけだろう。


自分とはこうだ、こうなりたい、と思ったことは今まで一度もなくて
むしろなんでもないものになりたいと思っているくらいで
とにかく何かをある形に固定することが嫌で
そういうのは何をするにも表れていると思う。


高校の時の同級生に
新聞記者になって社会の歯車になりたい
と言った(らしいと伝え聞いた)人がいて
冗談でそういうことを言う人間じゃないので
(冗談だとしたら自虐的でなかなかのセンスだと思う)
本気なんだろうな、と思って
ものすごい距離を感じたことを今でも覚えている。


今回もなんだかよく分からない文章になってしまった。