12月の読了。高野秀行・清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」、春風亭昇太桃月庵白酒柳家喬太郎、立川生志、林家正蔵、三笑亭夢丸、立川こはる、春風亭昇々、瀧川鯉八柳亭小痴楽柳家わさび「十八番の噺ー落語家が愛でる噺の話」、國分功一郎・山崎 亮「僕らの社会主義」。

11月の読了。木下大生・藤田孝典「知りたい! ソーシャルワーカーの仕事」、神田松之丞「絶滅危惧職、講談師を生きる」、スティーヴン・ガイズ「小さな習慣」、佐藤優國分功一郎・木暮太一・水野祐・開沼博・與那覇潤「秩序なき時代の知性」。


11月の演芸。11月9日「神田松之丞独演会 講談漫遊記vol.1」イムズホール。神田松之丞「三家三勇士より「和田平助」 」、「青龍刀権次(上)」、「青龍刀権次(下)」、仲入り、「赤穂義士銘々伝より 「神崎の詫び証文」」。

たまに行く料理屋さんの近くの席に、福祉系のなにかの事業所の代表と思われるおばちゃんと、同じ仕事をしている息子らしき人がしゃべっている。誰々さんが配偶者と離婚して不倫相手と結婚した、40歳前だけど誰々さんには任せられん、思いが足らん、など。思いが足らんで済ますのは、経営者としても福祉系の人としてもつまらんというか、コーチングとか組織開発とか勉強したらよいんではないかと、老婆心ながら思う。

5〜6例くらいしか観察したサンプルがないのでたいした根拠はないのだけれど、ずっと何年も不思議に思っていることがあって、ミュージシャン、アーティスト、クリエイター等々の、いわゆる創造に関わる活動をする人たちが、反権力だったり、左翼(リベラルというより)っぽいのは、なんでなんだろう。主流を疑うみたいな習性があるのか。主流を疑うことによってどうするというより、疑うこと自体が目的みたいな感じがなきにしもあらずなのが、なんとも言えない。