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暑い。
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梅雨明けしたと見られる。
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あと6日で「三体Ⅲ 死神永生」が発売されるらしいが、まだ三体Ⅱの最初らへんまでしか読めていない。とても面白いのだが、小説を読むのに時間を割けていない。
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https://mainichi.jp/articles/20210413/ddm/002/070/144000c
↑の記事で紹介されている「陰謀論ハンドブック」を日本語訳している人がいた。↓
https://okuranagaimo.blogspot.com/2021/01/blog-post_4.html?m=1
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松村真宏さんの言う仕掛学の「仕掛け」と、行動経済学の「ナッジ」ってどう違うのか。と思ったら、松村さんご本人も共同執筆者になっている論文に、仕掛学の立場から、その違いが整理してあった。いまざっと読んだけど、プリントアウトして後でじっくり読む。
https://www.shikakeology.org/pdf/TBC2018007.pdf
「ナッジ」と「仕掛け」の違いとして、個人的に大きいと思うのは「遊び心」なのだが、これを先ほどの論文では「そそる」という言い方をしていて、これはこれで効果があるのは分かりつつ、気になるのは、「遊び心」のセンスが難しい(アプローチする人たちの文脈に依存したり、遊び心としてつまらない場合もあり得る。これはこれで当然のことで特に悪いことではないけど)というのと、「仕掛け」に出会った人に対して「遊び心」を強制するというか、こちらのコンディション次第では、その「遊び心」がうざい場合もあることか。なので、いろんな人がいる公共的な場面というよりは、ある特定の属性・文脈が強い場面で力を発揮するような気がする。例えば、ファンが集うコンサート会場で、何かの行動について選んでもらいたい時とか。
私の住む地区には、住民が集まって行われる草刈りや墓掃除(「郷令」と呼ばれる)がある。これに参加しなかった場合には、「出不足金」として500円徴収されるのだが、その出不足金を2000円に増額しようという提案があり、区の総会で同意が得られず取り下げになったらしい。行動経済学かなんかで、郷令になるべく参加したくなるような設計ができないか、気になるところ。「地区の全員参加だから行かないと」という意識がだんだんうすれてきている現状で、そもそも、どのような動機付けが適切なのか。住民の自治とか交流に意味があるのは分かるが、自治への動機があまりなくなってきているのじゃないか。
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2021年3月30日現在の蔵書が1935冊あり、この中で読んだものが673冊あり、ということは、まだ読んでいないものが1262冊ある。今の自分の状況での読むペースは月に1〜2冊なので、仮にこのペースがそのまま続くとして(何年先かは分からないけど時間ができたら増えるとは思う)、80歳までに960冊読める計算になる。ということは、いまの時点で302冊が読まずに終わる可能性が高い上に、今の関心に応じて購入するので、日々、本は増え続けている。なので、たくさんある「買ったけど読みそびれて、たぶん今後も読まない本」を、いまその本に関心がある人へ渡せたら良さそう。
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ニュースによれば、今は檜の花粉が飛んでいるらしいので、ということは、檜の花粉によってアレルギー反応が起きているということになる。