松村真宏さんの言う仕掛学の「仕掛け」と、行動経済学の「ナッジ」ってどう違うのか。と思ったら、松村さんご本人も共同執筆者になっている論文に、仕掛学の立場から、その違いが整理してあった。いまざっと読んだけど、プリントアウトして後でじっくり読む。

https://www.shikakeology.org/pdf/TBC2018007.pdf

 

「ナッジ」と「仕掛け」の違いとして、個人的に大きいと思うのは「遊び心」なのだが、これを先ほどの論文では「そそる」という言い方をしていて、これはこれで効果があるのは分かりつつ、気になるのは、「遊び心」のセンスが難しい(アプローチする人たちの文脈に依存したり、遊び心としてつまらない場合もあり得る。これはこれで当然のことで特に悪いことではないけど)というのと、「仕掛け」に出会った人に対して「遊び心」を強制するというか、こちらのコンディション次第では、その「遊び心」がうざい場合もあることか。なので、いろんな人がいる公共的な場面というよりは、ある特定の属性・文脈が強い場面で力を発揮するような気がする。例えば、ファンが集うコンサート会場で、何かの行動について選んでもらいたい時とか。

 

私の住む地区には、住民が集まって行われる草刈りや墓掃除(「郷令」と呼ばれる)がある。これに参加しなかった場合には、「出不足金」として500円徴収されるのだが、その出不足金を2000円に増額しようという提案があり、区の総会で同意が得られず取り下げになったらしい。行動経済学かなんかで、郷令になるべく参加したくなるような設計ができないか、気になるところ。「地区の全員参加だから行かないと」という意識がだんだんうすれてきている現状で、そもそも、どのような動機付けが適切なのか。住民の自治とか交流に意味があるのは分かるが、自治への動機があまりなくなってきているのじゃないか。

2021年3月30日現在の蔵書が1935冊あり、この中で読んだものが673冊あり、ということは、まだ読んでいないものが1262冊ある。今の自分の状況での読むペースは月に1〜2冊なので、仮にこのペースがそのまま続くとして(何年先かは分からないけど時間ができたら増えるとは思う)、80歳までに960冊読める計算になる。ということは、いまの時点で302冊が読まずに終わる可能性が高い上に、今の関心に応じて購入するので、日々、本は増え続けている。なので、たくさんある「買ったけど読みそびれて、たぶん今後も読まない本」を、いまその本に関心がある人へ渡せたら良さそう。

長谷川昭雄さんというスタイリストがHOUYHNHNMというサイトでやっている連載のようなものがあり、好きで時々見ているのだが、最新のページにヘナについての話があり、デトックスとか好転反応とかの言葉を発見。なんというか、「デトックス

gijika.com

や「好転反応」(ホメオパシーで良く出てくる。)

gijika.com

は典型的な疑似科学用語だと言って差し支えないと思うのだが、疑似科学と科学の違いとか、科学的な考え方って何かとか(例えば「実験で確かめることができるかどうか」とか)、確かに曖昧なところもあるだろうけれど、基本的な考え方の土台としてみんなに共有されたら良いのになと、いつも思う。

 

あと前にも書いたことだが、「デトックス」とか「好転反応」とか「水の伝言」とか「良い波動」とか「引き寄せの法則」とかを、"信じる"ことに価値を感じる人には、科学的であるかどうかを説いても、残念ながら意味がない。そもそも科学的であることに価値や意味を感じていないから。しかし、自分の信じることを科学的に説明できない引け目はあるのか、科学にも限界があるとか、そういうことを言われた経験があるが、科学には限界がありますが、そもそも科学的に説明のつかないことを信じていても別におかしくないんですよ、私は信じませんが、と言ってあげれば、それはそれで丸く収まったのかもしれない。

 

乱暴な物言いではあるが、つまるところ、疑似科学やスピリチュアル、健康マニアといったようなものは、多数が信じているわけではないマイナーななにかを信じて、同好の士とコミュニケーションしたい、という、ささやかな楽しみなのかもしれない。

 

とはいえ、健康マニアに関しては、誰かの不調を聞きつけたら自分の信じる説やアイテムを紹介してきて、感謝されようとしたり、仲間にしようとしたり、してくるので、多少やっかいではある。